来迎寺・銕焼地蔵尊

銕焼地蔵尊(かなやきじぞうそん)
今から千年以上も昔の話。下諏訪の湯屋別当方に「かね」という娘が奉公していた。弁当を運ぶ役目の途中、その飯をいくらか菩薩に供えていた。ある日そのことを主人に告げ口され、怒った主人の妻が焼け火箸でかねの額を叩いた。泣きながら菩薩のもとに来ると、菩薩の額から血が流れ、かねの額から傷が消えていた。美しく成長したかねの噂は都にも聞こえ、帝に召しだされることになった。後の和泉式部であるという。

式部は菩薩を都に移し守り本尊として大切にしていた。和泉式部没後、最明寺入道が和泉式部の草庵に泊まったおり、菩薩のお告げがあって、お地蔵を下諏訪の聖聚院(来迎寺)にお移しした。これが「銕焼地蔵尊」である。

銕焼地蔵尊
来迎寺正門