秋宮〜山王台周辺の史跡

霞ヶ城址(かすみがじょうし)
三精寺跡(さんせいじあと)
神宮寺跡(じんぐうじ あと)
金刺氏居館跡(かなざししきょかんあと)
犬射馬場跡(いぬいばば あと)


霞ヶ城址(かすみがじょうし) ホテル山王閣の建っている場所は、古くから「山王台」と呼ばれた台地である。鎌倉時代のはじめ手塚光盛が山城を築き、日常も居館を兼ねたと考えられる。台上に山王社があり、近江の日吉神社を勧請したことから山王台の名が生まれた。秋宮を尾根の背に新造し、神社から舌状にのびる台地に霞ヶ城を造って体制を整え、湖北を支配する拠点にした。


三精寺跡(さんせいじあと)
三精寺は秋宮社務所の西の広場にあった。明治維新の廃仏毀釈で破却されたが、創建されたのは秋宮の北東、小湯の上であるという。鬼門寺であった。今も三精寺窪の地名が残っているが、寺は山津波に流されて再建ができず、秋宮境内に移転した過去がある。秋宮の別当寺であった。


神宮寺跡(じんぐうじ あと)
江戸時代までホテル山王閣の東の窪地にあった海岸孤絶山の山号をもつ寺。廃仏毀釈のおり、全部破却されて現存する建物は僅か。千手観音堂や三重塔などが武田勝頼によって再建された記録があり、土田墓地に弥勒菩薩像が現存する。
寺の僧侶は旧飯田藩士山下氏、子孫は下諏訪に居住している。


金刺氏居館跡(かなざししきょかんあと)
今の下諏訪中学校が金刺氏の居館跡である。信濃国造の金刺氏が諏訪郡領として着任したのは長地中屋の榎垣外遺跡付近と言われる。のち東山田に移住して春宮の祭神を司ったが、居館を霞ヶ城の下に移し、秋宮を造って定着した。いずれも横河川の洪水地帯から逃れ、下諏訪の高台に居館を定めたものであろう。


犬射馬場跡(いぬいばば あと)
旧暦七月一日の下社遷座祭で遷座の行列がお宮に到着すると、馬場で《犬追物》の神事が行われた。それが終わると武居の内御玉戸社前でお舟の爺媼が焼却されて遷座祭の祭典終了が奉告された。夏の遷座祭の神事の《犬追物》が犬射馬場で行われたが、江戸時代中期以後は神事がすたれ、のち馬場内に人家が出来た。

金刺盛澄(かなざしもりずみ)像
馬場石柱