下馬橋・大門通り周辺

下馬橋(げばばし)
春宮の大門に太鼓の形をした橋があります。正しくは「下馬橋」と言い、昔は神輿の貴人も馬上の貴人もここで地上に降り立ち、身を清めて神社を参拝するように決められていたといいます。今は遷座祭の神幸だけの通路です。

大門通り(だいもんどおり)
春宮から南に伸びる道は春宮の大門です。八丁(約800m)先に中山道に出合い、以前は大門通りの両側に椹(さわら)の大木が荘厳な雰囲気を漂わせる参道でしたが、台風で殆どが倒壊して、今では当時を偲ぶ面影はどこにもありません。


指さし道標(ゆびさしどうひょう)
信濃国一之宮諏訪大社の御柱祭は、七年目に行われます。神事には信濃国府の国司が神社へ常駐して検証する勤めがあったと言われます。
松本の国府から国司が諏訪を目指す道は、今も切れ切れに残っています。東山田の中に「中山道以前の古道筋」と地図に紹介しましたが、旧道に沿って「指さし道標」があります。最初の道標は春宮の手水舎の道向かいの角に忘れられた姿で建ち、石碑の下に「人の手形」が線刻されている為に、移動が出来ず建てた当時の位置に頑張っています。


魁塚(さきがけづか)
明治維新の折、官軍の先ぽうとして年貢半減などを掲げ中山道を江戸へと向かった赤報隊が、維新政府により斬首されたのがこの地。その後、相楽総三らの名誉回復が成され、処刑場所に立てられたのが「魁塚」です。

下馬橋(げばばし)
春宮大門の大鳥居(明治25年頃)
指さし道標(ゆびさしどうひょう)