諏訪大社下社春宮

諏訪大社下社
全国有数の末社を持つ諏訪大社には、下社と上社があります。上社は、遠く出雲の国譲りで大和朝廷の支配を望まず、国を捨てたタテミナカタと出雲族は浪々の果てに諏訪へ落ち着いて、上社のご祭神になりました。
大和朝廷は、諏訪の出雲族を追跡して信濃国造の「金刺氏」を下社に定着させて、今に見るような諏訪大社が出来たのです。

下社春宮
下社には春宮と秋宮があります。季節ごとに御霊代が遷座する日本でも珍しい神事がおこなわれます。

春宮から秋宮へは「お舟祭り」が行われます。両社とも御本殿の代わりに「ご神木」があり、そこに合掌して祈祷する神社です。春宮は「杉の木」、秋宮は「イチイの木」がご神木です。
神社の参道は、中央の石畳は神様が通る道であり、参拝者は左から入り右を抜けてきます。

春宮の宮寺と神宮寺
諏訪大社下社には、春宮に観照寺、秋宮に三精寺の宮寺がありました。社前鳥居の右手前石垣の上にあり、本尊薬師如来を安置していました。明治維新の廃仏毀釈で今は下の原宝光院に移されて地域の安寧を護持する敬愛社に安置されています。敬愛社は、明治維新以後は醍醐派修験道に属し、修験道を伝えています。
下社の神宮寺は、秋宮の南の窪地にありました。平安時代頃から寺院活動がなされましたが、廃仏毀釈が行われる明治初期には跡形もなくなりました。武田勝頼の頃には上社神宮寺に勝る寺であったことがわかっています。

萩倉薬師(はぎくらやくし)
春宮の御柱の奥に「薬師平」があり、そこに「萩倉薬師」が祀られていましたが、のち小田野(今の星ケ丘)に移されました。官牧=萩倉牧の守り本尊と考えられます。江戸時代には萩倉牧が廃絶して萩倉集落へ牧民が移住したとき、萩倉薬師も牧民に引き取られ、今は萩倉集落に安置されています。

下社春宮
下馬橋から春宮を望む(大正末期)