万治の石仏

 万治の石仏は春宮の西にあり、JR東日本の信州ディスティネーションキャンペーンでも紹介され、参拝する観先客が飛躍的に増加しています。
 石仏は以前「烏帽子石」と呼ぶ神官の帽子に似た石でしたが、弟子達が万治三年(一六六〇年)に後方の高い部分を削ぎ落として阿弥陀如来の身体を刻み、別の石で佛頭を乗せた供養墓にしました。石仏は阿弥陀如来の袈裟を纏い、胸に大日如来が線刻してあります。

 墓の主は弾誓上人という江戸時代初期の高僧です。弾誓上人は懇願されて慶長三年(一五九八年)に諏訪を訪れ、唐沢山阿弥陀寺を開山した僧侶です。  万治の石仏は、弾誓上人が入寂して五十回忌に造られた供養墓です。今、その周囲を廻る礼拝を紹介しいますが、廻り方にも注意しましょう。
 万治の石仏には、春宮の石鳥居の用材にしようと「烏帽子石」に鑿をいれた所、血が出たので作業を中止し、後で阿弥陀様を造像したという伝承がありましたが、平成十四年に石仏は供養墓であると認識されました。

万治の石仏
念仏講(昭和3年撮影)