藤の木社〜石投場

◎石投場
諏訪湖を眼下にした展望に優れた場所。昔は石を投げれば諏訪湖に届くような所だったことから名づけられました。明治十三年、明治天皇ご巡幸の折には、ここから漁夫たちの投網の様子をご覧になったといいます。地元高木地区では、その記念に「明治天皇駐輦址」と刻まれた大きな碑を建てました。

◎藤の木社
金刺氏の分家、高木氏の神社。永正五年、下社の金刺氏が上社との抗争に敗れ、滅びた後に金刺の支配下にあった地域は上社の支配になりました。

◎高木城跡
金刺氏の分家である高木氏の山城。山城は近世の平城と違って居住はせず、武器弾薬、宝物を保管する場所として使われました。城主、大和監物の墳墓は慈雲寺にあり、過去帳からは高木城主と大和城主が同属で、互いに助け合う関係にあったと推測されています。


東照寺の飴釉瓶子(あめゆ へいし)
大正元年に東照寺の一部の畑から6個の完全な瓶子が発掘されました。瓶子は正しく二列に埋められていたといい、6個のうち1個残ったものが長崎氏の手で保管されています。器は飴釉瀬戸、淡い茶色で、高さ二十七cm、胴の径十八cmあり、胎土には美しい菊の印花4つを刻みめぐらせています。鎌倉時代初期にできた古瀬戸のひとつ。こうした高級貴重品を使う文化が鎌倉時代の初め、ここにあったことは驚異です。おそらく僧侶の墓で火葬が定着していたと思われ、東照寺の規模が大きかったものと思われます。

明治天皇駐れん祉の碑