下諏訪の中山道|一口メモ

中山道と下諏訪

江戸を起点とする五街道(東海道、中山道、甲州道中、日光道中、奥州街道)の中でも、中山道は東海道とともに江戸と京都を結ぶ重要な街道となっていました。
この街道は、江戸日本橋を基点に武蔵国(埼玉県)から上野国(群馬県)を経て信濃国(長野県)に入り、さらに美濃国(岐阜県)、近江国(滋賀県)から京都に至るまでの約百三十二里、六十九次でした。
下諏訪宿は、甲州道中の終点にあって古くから諏訪大社の門前であり、また当時中山道で唯一温泉の湧く宿場でもあったことから大いに賑わいました。

魁塚〜下諏訪宿〜注連掛

下諏訪宿御本陣

諏訪は甲州路を経て下諏訪に至る甲州道中、江戸から武州・上州を経て難路の和田峠から下諏訪に入る中山道が下諏訪宿で合流しています。
下諏訪宿は、諏訪大社の門前町、下諏訪温泉の「いでゆの町」です。宿場には江戸時代の息吹を今に伝える建築物の数々、宿場裏には昔のままに静かな「夜通路(やとうみち)」があり、峠の登り下りを馬の背で荷物を運んだゆえに疲れた馬を休ませる「馬湯」の伝承が残っています。「いざ鎌倉へ」と馬で馳せ参じた信濃武士の「疾風路」も残っています。


注連掛〜木落し坂

現在の注連掛(しめかけ)

◎注連掛(しめかけ)
御柱祭で御柱に注連縄を張る場所。下社の御柱はここまでが「山出し」で約一ヶ月後、ここから「里曳き」が始まります。


◎木落し坂
御柱祭の最大の見せ場として知られる諏訪大社下社「木落し坂」。長さ100m、斜度35度の難所で、砥川の対岸には観覧席が見えます。

木落し坂〜浪人塚

浪人塚(水戸浪士の墓)

◎浪人塚(水戸浪士の墓)
元治元(1864)年、尊皇攘夷を掲げ水戸藩を脱藩した浪士軍が京へ向かう途上、阻止しようとした高島、松本藩と激突し、その戦死者を悼んで、塚が建立されました。

◎樋橋本陣跡
樋橋に置かれていた茶屋本陣小松家の屋敷跡。町指定文化財です。

◎一里塚(五十四里)
江戸より五十四里。自然石の立派な石碑が建っています。

西餅屋〜和田峠

明治期の西餅屋(原本:横浜開港資料館)

◎西餅屋
旅人が杖をおいて休んだ場所を立場(たてば)といいます。ここは峠に向かう旅人が心を引き締め、峠を越えた人が疲れを癒した立場。力餅を売る四軒の茶屋があったことから「西餅屋」と呼ばれました。また口留番所が置かれていました。

◎石小屋跡
安政二(1855)年、六月下之原村が、峠を往来する旅人の安全のため、五十両の寄進を得て作った石積みの小屋。その痕跡が今も残ります。

◎和田峠
標高約1600m、中山道最大の難所といわれた和田峠。峠の頂上には御嶽山遙拝所碑や馬頭観音碑、賽の河原地蔵が建っています。