国用製糸と託児所

 下諏訪の生糸は「甲斐絹」の原料に優先して使われましたが、繭を渡して自宅の軒先で紡ぐ「座繰り」が盛んになりはじめました。しかし「座繰り」をする奥さんは、出産後、一定期間工場に来られないため製糸の生産高が減ってしまいます。そこで一計を案じた人がいました。

 工場内に託児施設を併設して産後の日立ちの良い奥さんに「幼児を背負って工場へ来て欲しい」と呼びかけたのです。工場で働く合間に授乳させると言う画期的な妙案を案出した人の名は、松沢茂助さんと言います。
 しかしこれには役所から苦情が寄せられました。そこでやむなく下諏訪中学校の南に保育園を新設して「工場の託児」に対応する方法を採用しました。これが諏訪地方の保育事業の嚆矢です。

国用製糸全盛時の託児所(大正14年)
旧下諏訪保育園