温泉と温泉跡

綿の湯跡
中山道は和田峠と塩尻峠の間を二キロも遠回りして下諏訪宿を開いた。神社と温泉と甲州道中を分岐するためである。
男神(上社)から別離した女神が下社に定住するとき、綿に浸した湯を下げて湖水を渡って着いた場所に湯が湧き出て、通り径に神渡りが出来たという神話にゆかりの湯である。

馬湯
小湯(児湯)跡
旦過の湯


馬湯 江戸時代馬は大切な旅の道連れであった。人間の五倍以上の荷を背負い、一言の苦情を言うでもなく唯々諾々と馬方の言成りに街道を往来していた。 下諏訪宿には温泉の馬湯が多い。疲れがとれるから人間も湯より温泉の方を好む。下諏訪宿の馬湯に入ることを馬は殊の外喜んだことであろう。


小湯(児湯)跡
旅館うらかめやの手前に石碑がある。湯量が少なく浴槽も狭かった。小湯は大衆浴場ではなく、宿場の住人専用であった。子宝に恵まれると伝承されて児湯の字が使われ、湯の効果は古くから知られていた。幕末には小湯の上の行屋に滞在した木喰上人がこよなく小湯を好み、入浴したという。
現在は、湯量充分の日帰り温泉「遊泉ハウス児湯」として親しまれている。


旦過の湯
 綿の湯が神社にゆかりがあるならば、旦過湯(たんがのゆ)は、寺院にゆかりがある。下社大社金刺満貞が正安二年(1300)に春宮の鬼門寺として慈雲寺を開基したときから、修業僧の休養施設として旦過湯を開設したと言われる。
 のち宮本武蔵も入浴したと言う伝承がある。

綿の湯跡の碑(題字:永六輔氏)
現在の遊泉ハウス児湯
旦過の湯