下諏訪宿の史跡

問屋場跡
宿場の中心は問屋場である。下諏訪宿は綿の湯の前にあったが、場所が狭かったので今の御柱グランドパークへ移された。街道を往来する旅人の、人と荷物を隣宿まで運ぶために毎日忙しく働いたという。
「駅」の字が示すように、馬が主体の江戸時代は問屋場が下諏訪駅。忙殺の毎日であった。

番屋跡
高札場跡
高島藩お茶屋跡


番屋跡 下諏訪宿は中山道と甲州道中口の三ヶ所に番屋があり、そこに曲の手があって通行する旅人の安全を確保するために、常に監視の目を光らせてた。  しかし江戸時代、番屋にとって最も苛酷な仕事は乞食、物乞いをあしらうこと。重い病気に罹った行倒れ人を始末することであった。


高札場跡
下諏訪宿の高札場は宿外れ、御柱グランドパークの所に開設された。以前は問屋場付近にあったが、問屋場は狭い上に綿の湯があって混雑がひどく、宿外れに移転した。
今、その中に当時の高札場に掲示した高札と文言が展示されているが、それはほんの一部であり、当時は種々の内容が掲示された。


高島藩お茶屋跡
御本陣邸の東に高島藩の接待茶屋があった。御城下を通る諸大名がいないため、藩主が接待する時は下諏訪宿のお茶屋に出向いてきて接待をした建物で、結構な造りであったといわれている。
 藩主が留守の時は、家老が代役を務めたといわれるが、明治三年に破却された。


問屋場跡の碑
高札場跡