万治の開運数にまつわる物語

序章...

驚いた石工

 諏訪高島三代藩主・諏訪忠晴公が、明暦三年(1657年)諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を奉納しようとした時のこと。
 命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようとノミを打ち入れたおり、はからずもその石から血が流れ出た。驚いた石工達は、神様のたたりと恐れて中止した。その夜、石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があるとのお告げがあり、そこで良材を見つけることができ、大鳥居は完成した。
 石工達は、あらためてこの不思議な石に阿弥陀如来を刻んで供養したという。現在も残っているノミの跡はその時のものと言われている。

時は遡り江戸末期...

阿弥陀様のお告げ

  春宮の大鳥居を奉納した石工の末裔で龍左右衛門という者がいた。 信心深い龍左右衛門は村人の安寧を願い、毎日欠かさずにあみだ様(万治の石仏)にお参りをしていたが...
 ある夜、突然「あみだ様」が夢枕に現れ、謎めいた言葉を残して消えた。

 そのお告げによると...

伊留満をかくまっている

  下諏訪宿に「かね」という心根の優しい娘がおり、キリシタンの伊留満(=修道士)をかくまっている。ある者がその秘密を知り、お上に密告しようとしている。
「かね」とその修道士を救い、「あみだ様」の前で「万事おさまりました」と報告すれば、必ず良いことが訪れるだろう...。

実直な龍左右衛門はすぐに行動した。「かね」という娘は実在し、なんと伊留満らしき青年を密かにかくまって暮らしていた。

高額の報奨金

  秘密を知ったいたのは、近くで小さな宿屋を営む伍助という若者だった。彼も優しい男だったが、病床の母親がおり、父が残した借金に苦しんでいた。

そして宿場の高札にあるキリシタンを訴え出た者に与えられるという高額の報奨金に心が揺れていた。

訴え出るのは止めてほしい。

 龍左右衛門は決して裕福ではなかったが、その蓄えの全て差し出して...
 「この金で借金を返しておくれ。そのかわり、訴え出るのは止めてほしい。」と伍助に頼み込んだ。
 伍助は、なぜ見ず知らずの自分にこれ程の大金を差し出すのかと驚いた。けれども龍左右衛門の人情と優しさに激しく心を打たれ...

いつか必ずお返しします

「龍左右衛門さん、『かね』のことは知らなかったことにします。本当は自分も悩んでおりました。このお金は一生懸命働いていつか必ずお返しします。」そう言って涙を流した。

 

妻に迎えて幸せに暮らした
全額を龍左右衛門に返すことができた

 伊留満の青年は、龍左右衛門の計らいで下諏訪を離れた。

 後に明治維新によりキリシタン弾圧から解放された青年は、心の優しい「かね」を妻に迎えて幸せに暮らしたという。

 その後の龍左右衛門には不思議と良い石工の仕事が舞い込んできた。

 そして伍助の宿屋もにわかに繁盛し、全額を龍左右衛門に返すことができたそうだ。

 

... 実はこの話は、 その後に続く不思議なエピソードがある。




万事おさまりましたと報告

 龍左右衛門は、あみだ様(万治の石仏)の前で自分のしたことを全て伝えた後...、

「ご先祖からの蓄え一切...銀○○○枚を使いましたが、万事おさまりました。」...と報告している。


 龍左右衛門と伍助は、「銀」のことに関しては二人の約束で生涯、誰にも明かさなかった。しかしその後、龍左右衛門を慕う人々がその美談を知り、後世に語り継ぐため、龍左右衛門の差し出した銀の枚数を様々に推理した。
そして、その枚数を確信した者があみだ様(万治の石仏)の前で畏敬の念を込めてその数を言い当てると、なぜかその人にも幸運が訪れたという。それは「万治の開運数」といわれ、密かに崇められるようになった。



銀の枚数を様々に推理した

 「万治の開運数」を知り得た者たちは、互いを「同志」と呼び合い、龍左右衛門の意思を守り、安易にそれを他人に明かしてはいない。ただ、同志たちは、そのありがたい数を自ら知ろうとする者を拒むことはなく、むしろ歓迎している。それゆえ「万治の開運数」を探るヒントが彼らによって作られ、ここに公開されている。


 あなたもそのヒントをもとに「万治の開運数」を推理して欲しい。見事その数を知り得ることができ、あみだ様(万治の石仏)に畏敬の念を込めてお参りすれば、あなたも同志となる。
そして、あなたの周りにも必ずや、幸運が訪れることになるでだろう。